室次と坂本龍馬との関係は?

1838年、松平春嶽公が福井藩の藩主になった頃は福井藩も財政は火の車でした。

1859年、福井藩の金庫番である由利公正は長崎からヨーロッパへ醤油(福井城下の醤油をかき集めたが、ほとんどは室次の醤油)と生糸を輸出しました。

1862年頃には輸出総額300万両に達し福井藩の財政が立ち直りました。このお金の輸送は、千両箱2つを載せた馬125頭が、長崎から福井まで運んだそうです。街道の人はさぞかし驚いた事と思います。

1863年7月、坂本龍馬が福井藩から5千両借り、神戸に「神戸海軍操練所」を作る。つまりは、醤油で儲けたお金があったので、松平春嶽公も龍馬に5千両も貸せたのです。(ちなみにこの頃の福井藩の年間予算は10万両)

1867年10月、莨屋(たばこや)旅館で由利公正と日本の将来を語りました。(由利公正を新政府の大臣にスカウトに来た)。

この頃の遠距離輸送は舟だったので、九十九橋の舟着場から100mほどの距離の莨屋(たばこや)旅館の北隣に室次分店があり、原料の大豆を降ろすと同時に、醤油を積み込み、三国、敦賀まで、運んでいた。莨屋(たばこや)旅館にも室次の醤油を納めており、坂本龍馬も室次の醤油を味わいました。

龍馬が「おまんらー、この醤油、うまくておどろいたがよ」と言ったかどうかは不明だが。

しかし、この時代、龍馬が2回も福井に来て、莨屋(たばこや)旅館に泊まり、室次の醤油を使ったのは、不思議な縁を感じます。

そこで、この頃の製法で再現した醤油、「幕末のソイソース」を作りました。人工調味料・人工甘味料・保存料など一切無添加で1年間 熟成した天然醸造の醤油です。ちなみに醤油は英語で「ソイソース」です。

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お知らせ | 2011年10月17日
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