江戸の幕末期、福井藩主・松平春嶽公は藩の財政難を立て直すべく、金庫番である由利公正に命じ長崎に越前蔵屋敷を建て、出島からオランダ商館を通してヨーロッパへ醤油や生糸を輸出しました。輸出総額は300万両に達し、千両箱2つ載せた馬125頭で長崎から福井へ運んだそうです。
当時、福井藩最大の醤油屋だった室次は輸出醤油のほとんどを生産しており、藩の財政立て直しに大きく貢献しました。
1863年7月、坂本龍馬は輸出で潤っていた福井藩に5000両を借り、神戸に「海軍塾」を設営します。1867年10月、坂本龍馬は由利公正を新政府の大臣にスカウトするため再び福井を訪れます。莨屋(たばこや)旅館で「日本を洗濯するため」の将来を語りながら、”おまんらー、室次の醤油、うまくて驚いたがよー”と上機嫌だったとか。坂本龍馬に愛された醤油は、19世紀には既に、世界中で愛されていました。
「龍馬」は坂本龍馬が口にしていたそのままの味を再現した醤油です。食品添加物などなかった時代の醤油、こうじ菌が自然と時間をかけて造りだす天然の味・旨み・香りがやみつきになります。